旧岡崎邸の紹介と建築技術

歴史的建築物『岡崎邸』

岡崎邸は鳥取県鳥取市馬場町に建ち、鳥取県再建運動の中心人物で初代鳥取市長の岡崎平内可観の生家としても知られている。天保六年(1835年)に建築され、今もなお建材や間取りが創建当時のまま残り、当時の伝統的建築工法の様子や歴史文化が垣間見られる貴重な歴史的建築物である。

初代鳥取市長の岡崎平内可観

岡崎平内可観は、幕末から大正初期まで鳥取の活性化のために活躍し、殊に島根県に併合された鳥取県を再度独立・再置に尽力した。日野郡長・島根県会議員・島根県会議長・初代鳥取県会議長・初代鳥取市長・初の鳥取選出衆議院議員・西伯郡長・岩見郡長を歴任すると共に各種の産業振興を推進し、また、この屋敷内に道場を開き、鳥取藩剣術・雖井蛙流の振興に努めた。彼なしには今日の鳥取県も鳥取市も存在しない重要な人物である。


岡崎邸の特徴と使用されている建築技術

岡崎邸には、創建当時の建築技法として様々な様式や特徴が見られる。

武家屋敷

藩政資料から鳥取藩が岡崎平内可観の祖父、藩財政の危機を救って元締役、財政管理となった中級武士、岡崎平内可之のために天保六年(1835年)板葺で着工し、天保七年(1836年)に瓦葺に変更したことが確認される武家屋敷である。この屋敷には後に記す特徴がある。

泰姫御殿の試作建物

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岡崎平内可之は、文政十年(1827年)以来、藩の元締役であった。天保元年(1830年)に藩主が交代し、若い藩主が徳川将軍家斉の前で元服し、将軍の末娘、泰姫と婚約したので、天保五年(1834年)、岡崎平内可之は泰姫様引移御用懸、即ち泰姫を迎える屋敷を用意し、婚姻の準備をする役の兼務を命じられた。岡崎邸の着工は、この命令の直後の天保六年(1835年)であり、岡崎邸の工事がほぼ完了したと考えられる天保七年(1836年)に泰姫御殿の棟梁を江戸藩邸に推薦し、更に天保八年(1837年)には自ら江戸に赴き、現地で泰姫御殿建設の手筈を整えた。泰姫御殿の二階には江戸城を見渡す城見の座敷を有していた。このような状況から岡崎邸は、泰姫御殿の試作建物と推測され、極めて重要な歴史遺産である。

二階の隠し部屋 城見の座敷

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三十二万石の鳥取城の勇姿を一望に出来るように二階に座敷が設けられている。しかし、天井を閉めると二階に上る階段を隠せるようになっており、この座敷は隠し部屋であった。二階に座敷を持つ武家屋敷が極めて珍しい上に、それを隠し部屋とした特異さを持つ。

総土台構え

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当時の武家屋敷は、外回りのみに土台を敷いていたが、この建物は主な柱筋に縦横に太い七寸(21cm)角の土台を敷き、その上に柱を立ち上げている。

大きな部材寸法

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当時の武家屋敷は、四寸(12cm)角の柱を用いるのが一般であったが、この建物では一階床上では五寸二分(15.8cn)角、床下では六寸(18cm)角となっており、これに伴って梁などの部材寸法も大きくなっている。家老屋敷よりも大きな部材の採用は実に不思議です。

杉の面皮仕立て

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柱は、ほぼ全てが杉材で角に丸みの地肌を出す面皮仕立てとし、天井の棹縁や廻縁も同様に面皮として艶やかな室内を造っている。杉の面皮仕立ては鳥取の得意技であるが、二階建ての通し柱の全長を面皮仕立てとするのは容易なことではない。